校長室から『主体的・対話的な学びを実現するために』
現行の学習指導要領では、児童生徒自身が学びの主導権を握る“主体的、対話的な学び”が重要視されています。“アクティブ・ラーニング”という言葉で紹介されることもあります。国内で展開されているタブレットを使った学習も、児童生徒自身が学びのコントローラーをもって学びの主体者となれるよう、道具として使わせているだけです。よって、児童生徒自身が自ら考え、動く学習でなければいくらタブレットを使ったとしても、意味はないと考えています。
この“主体的、対話的な学び”という言葉が出始めた頃、よく目にしたのが右の“ラーニングピラミッド”
でした。講義型の学習では学習定着率が5%と低く、自ら体験したり、他人に教えたりすると定着率が格段に高くなるという図です。このデータの信憑性を疑う記事もたくさん目にしますが、私は教職経験35年の肌感覚として、あながち間違いではないように思います。
では、どのようにして、本校のような小規模校が“ラーニング・ピラミッド”の下部領域に位置するような授業を行うことができるでしょうか。1学年の人数も1名から2名、ネット環境も十分ではなく、他者との対話、グループ討議はなかなか実現できません。先日、4年生の算数の授業を参観すると、計算方法を互いに伝え合っていましたが、2名なら、いわゆるペアトークを行うことができます。複数在籍する学年は、こうした活動をより重要視していく必要があるように思います。
それでは、1名在籍の学年の授業はどうするか。私は赴任する前、ここで“アクティブ・ラーニング”は難しいと考えていたのですが、実際に授業をしてみると、児童生徒と先生の距離が非常に近く、問答を絶え間なく繰り返すことができることがわかりました。先生に伝える、先生と討議することをすれば、十分“ラーニング・ピラミッド”の下部領域の学習が展開できるのです。つまり、“アクティブ・ラーニング”は、人数に左右されるのではなく、学習活動、学習展開に左右されるという、当たり前のことに気が付きました。
前述したタブレットを使用した学習も然り、“アクティブ・ラーニング”も然り。これらは道具や手段であって、学習活動を左右する本質ではありません。学習者を主体にすることは、それらがなくても実現できますが、あったほうがよりしやすくなるだけのことです。大切なことは、学び手をいかに当事者にさせるかということを忘れてはなりません。
国内と違った環境に身を置き、教育を展開することで本質が見えるという経験は、何度となくありました。日本人学校で勤務すると、こうした当たり前の法則を再確認することができます。
【参考資料】平均学習定着率が向上する「ラーニングピラミッド」とは?(キャリア教育ラボ.2018)
テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ
じぶんでかんがえて、まなんでいますか。いつも、じぶんのかんがえをもつようにしていますか。じぶんでかんがえないと、まなびはいつまでたってもはじまりません。