校長室から『瓢箪からビッグな駒が出る~子ども達自身で考える時間の必要性~』

先週の朝の集会は、委員会考案の“2チームに分かれた鬼ごっこ”でひと汗かきました。全校生9人でする“鬼ごっこ”は、小学部1年生から中学部3年生が一緒にしますので、ルールは小学部1年生にも理解でき、中学部3年生でも楽しめる内容でなくてはなりません。次に、私を含めて派遣教員6名全員が“鬼ごっこ”に加わります。私も、担当の先生に「明日は鬼ごっこしますから、動ける服を持ってきてくださいよ」と言われました。児童生徒も先生達も一緒に楽しみます。もちろん我々先生も本気、全力で子どもの相手になります。ほんの20分の時間でしたが、大きな声を出しながら、勝った時は大歓声をあげなから、大人も子どもも全員が鬼ごっこを楽しみました。こうした活動の積み上げが、本校のアットホームな人間関係の醸成につながります。

鬼ごっこを始める前、委員会からルール説明がありました。しかし、私はよく理解できませんでした。なぜなら、これまでしたことのない、聞いたことのない“鬼ごっこ”のルールだったからです。ただ、やってみると、体力だけでなくチーム戦略も必要で、小学部1年生から大人まで楽しめるルールでした。先生達は口々に「このルール、面白い」「もっとやりたかったなぁ」と言うほどの盛り上がりでした。今回の企画で中心になった中学部2年生に、終わった後の苦労話を聞きました。すると、企画中に小学部の二人の子がそれぞれ別の鬼ごっこのルールを主張したそうです。そこで、「じゃあ、2つのルールをミックスさせてみよう」となったそうです。そうした中で考案されたのが、今回の新しいルールでの“鬼ごっこ”でした。

学校は、一つの答えを学ぶところではありません。それぞれの子、その時々の状況によって、導き出される答えは違ってきます。先生のちょっとしたアドバイスによっても、方向性も変わってきます。今回の鬼ごっこの場合は、双方の主張を取り入れる形で、自分たちの最適解を導き出しました。おかげで、どこかで今回の鬼ごっこルールを披露してみたいと思えるほど、楽しいルールを作り上げていました。今回は考えをミックスさせることで折り合いをつけていましたが、どちらがより小学1年生から大人まで楽しめるかという視点で、選ぶこともできたでしょう。

ただどちらの方法であっても、子どもに判断や采配を委ねる姿勢が、先生には必要です。私は、かつての上司から「“教育”とかけて“盆栽”と解く。そのこころは、菊(聴く)と松(待つ)が大切です」と教わりました。先生の役割は、子どもに答えを教えるのではなく、最適な答えを見つけ出す方法を教えることです。そのため、子どもの声を聴き、アドバイスを与えた後は彼らが試行錯誤していく時間、

じっと待つことが必要なのです。今回は、それがたまたま「瓢箪からビッグな駒」になりましたが、例え大人が期待する結果にならなくても、最適解を導き出す時間を作ってやり、子ども達自身で考えようとしたことを大きく評価しなければなりません。

 

テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ

このまえのおにごっこは、だれもがたのしめるルールになっていました。それをじぶんたちではなしあってかんがえていったときいて、びっくりしました。そして、とてもうれしくなりました。

校長室から『瓢箪からビッグな駒が出る~子ども達自身で考える時間の必要性~』

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