校長室から『説明責任を果たしながら、変えるべきことは変える~大気汚染に関する学校対応を例にして~』
今月に入って、テヘラン市内の大気汚染が深刻な状態になっています。本校では、PM2.5を判断指数として、101以上なら屋外運動(校庭での体育、外遊びなど)禁止、151以上なら全ての屋外活動禁止としています。昨年度までは、201以上になると休校としていましたが、それは今年度から止めました。全員が自動車による登校であり、登下校で外気にさらされる時間がほとんどないこと、休校になって家庭で生活していても、学校で生活していても大きな差はないことなどが理由です。ちなみに、南西アジアにある、大気汚染が著しく悪い日本人学校に聞いてみても、休校措置をとっている学校はありませんでした。
先日、テヘラン市内のイラン公立小学校は大気汚染の悪化から、臨時休校措置をとっていました(中学校、高等学校は通常通り)が、本校は実施しました。単に“右へならえ”をするのではなく、イラン現地校を含む他校の対応を判断材料としつつも、最終的に学校を開くか、閉じるかは、学校の判断によります。
新型コロナで学校が揺れた2020年からの3年間、国内の学校では、「学校を開くか、閉じるか」「マスクは強制するのか、しないのか」「感染時の対応はどうするのか」など校内で議論し、結果として各校様々な対応となりました。その対応の違いによって、保護者や地域から賛否の声が飛び交い、批判の声が届く毎に学校も苦慮しました。熱中症対策、タブレットの使用、宿題の在り方なども同様です。こうした状況に、学校が下した決断について十分説明する力もなく、ついには、「教育委員会が統一方針を出してほしい」と言い出す校長もいました。決裁権を持たなくなった学校はどことも変わらない“金太郎飴”のような学校であり、明治以降150年続いた学校制度から脱皮しようとしている学校改革に水を差す形になりした。しかし、どんな時でも、どんな課題でも、学校職員で協議し、学校の判断を保護者や地域にしっかり伝えられる組織でないと、いつまでたっても学校は自立できないと考えています。
幸いにも、赴任したテヘラン日本人学校は、そうした学校の判断を尊重してくださる方が多いように感じています。今回の大気汚染に対する対応変更についても、賛否はあるでしょうが、「最終的には学校が判断することですから、それを尊重しますよ」とおっしゃっていただいた保護者の言葉に励まされました。学校は保護者や地域からの声に耳を傾けることは当然ですが、その結果として出した最終的な判断が大切にされないと、“右へならえ”の“金太郎飴”のような学校になるか、判断を他に委ねた無責任な学校になってしまう可能性があります。学校は教育のプロとして、しっかりと説明責任を果たしながら、子ども達へのよりよい教育、学校のより良い在り方を提案し、変えるべきことは変えていかなければならないと思います。
テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ
これまでとおなじことをするのは、かんたんであんしんできます。しかし、それではせいちょうがありません。そのために、へんかすることがたいせつです。そして、そのへんかをおうえんする、まわりのこえがひつようです。