校長室から『学校は、学校に関わる全ての人のもの~この1年を振り返って~』
私がずっと拘っていることの一つに、「学校は誰のものか」という問いがあります。これは、教職大学院で同志社女子大学の水本徳明教授の『学校論』の講義を受けてから、モヤモヤし、頭の片隅に引っかかったままでした。そのモヤモヤが少し晴れてきたように思います。
4月に赴任してから、学校は多くの人の支援によって成り立っていると強く感じています。本校は小規模校ゆえに、校内はアットホームな空気が流れています。狭い日本人社会ですから、子ども達はお友達の家庭への行き来も多く、夕食もお友達の家でおよばれしたという経験もたくさんしてます。保護者同士の関係が近いことは、子ども同士の関係も近くなっていきます。また、保護者の学校との関係も国内以上に近く、よく声をかけてくださり、率直な意見もいただきました。また、支援もよくしてくださいました。今年は、清掃員不在によって、保護者が交代で学校清掃に汗を流してくださる期間もありました。「学校は誰のものか」。間違いなく、保護者であると感じました。
学校運営委員会にも、いろいろな場面で助けてもらいました。今年度は校舎借料の契約更新の年でした。児童生徒数減によって収入が少なくなっている中、借料値上げの話をオーナーから持ち掛けられた時は慌てましたが、運営委員長が先頭に立ってオーナーと交渉していただきました。運営委員会でも協議を重ねていただき、来年からも現校舎で教育活動ができるようにしていただきました。学校運営委員会の方々は、それこそ“おらが学校”という意識で話し合っていただいているように感じました。「学校は誰のものか」。間違いなく、日本人社会であると感じました。
本校職員も、手前味噌ながら、子ども達一人一人のことを考えて、教育活動、学校運営に当たりました。保護者から見れば、ハテナ?ということはあったかもしれません。しかし、「こうした方が、子ども達は成長するのではないか」「そうなったら、〇〇さんが困るのではないか」と、一人一人の名前を出しながら話し合い、試行錯誤しました。教員以外の事務職員、警備員、ドライバーなどの現地スタッフも、子ども達が気持ちよく学校生活ができるように、笑顔を絶やさず業務に当たりました。「学校は誰のものか」。筆頭ではありませんか、間違いなく、教職員も入ります。
そして、一番は子ども達でしょう。1年間、小さな成長の積み重ねの中で、大きな挫折もあったと思います。1年間を振り返ってみますと、毎日の授業、いろいろな行事で大きく成長したと思います。そのような中、今年は4名もの転出があり、転校のたびに火が消えたように感じ、悲しくなりました。しかし、残っている子ども達がその悲しさを吹き飛ばしてくれるように、活躍してくれました。新天地で活躍している転校生も含めて、「あなたがいてくれたからこそ、この学校は良くなってきたんだ」と思います。「学校は誰のものか」。それは、子ども達です。だからこそ、もっともっと先生にも意見し、自分達で学校をより良くしようと動いてほしいと思います。
本校は、数多くの人に支えられて成り立っています。1年間を振り返って、感謝しかありません。そして、来年も、学校を支える当事者と動いてくださる人達とともに、より良い学校を創っていきます。ありかどうございました。よいお年をお迎えください。
テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ
あすから、がっこうは6にちかんおやすみになります。らいねん、さらによいがっこうにするため、えねるぎーをたくわえます。たのしみにしていてください。