校長室から『何のために、それを学ぶのか?~アウトプットの機会の増加~』
先週火曜日、4年生国語で、サウジアラビアのジッタ日本人学校の4年生と合同授業をしました。『もしものときにそなえよう』という単元で災害について調べ、それをまとめて他者に伝える学習でした。
国内の学校の国語では、まとめたことを教室内の友達に伝えるなど、対話的な活動がたくさんあります。それは、学習指導要領が改訂された際、“主体的、対話的で深い学び”という言葉が盛り込まれ、対話的な活動によって知識の定着を図り、表現力を高めることが重要視されているからです。これまで教師の話を聴く、講義型の学習が多かったのですが、そうした学習よりも他者に伝える表現型の学習の方が知識の定着率は格段に高いという理由から、“対話的”な学習がより多く求められています。
しかし、本校は児童生徒数も減り、学年で一人だけの授業も少なくありません。ジッダ日本人学校も本校同様の課題があり、連携することで少しでも対話的な学習の機会を増やそうとしています。つまり、両校の利益が合致した授業というわけです。
“主体的、対話的で深い学び”について、私は“主体的”学び⇒“対話的”学び⇒“深い学び”といった流れがあると考えています。“主体的”でなければ、“対話的”な活動は、「活動あって学びなし」という状態になってしまいます。かつて、とにかくいろいろな場所、場面に足を運び、学びを広げようという学習運動がありました。しかし、「這いまわる経験主義」と称され、経験することが目的化してしまったことの批判が高まり、多くの教員はその取り組みに反省しました。そのため、今回の“対話的”の学びも、「這いまわる“対話的”活動」とならないよう気を付けなくてはなりません。そのためには、第一ステップである“主体的”な意識がより重要だと考えています。これは、人工知能(AI)を取り入れた授業でも共通していることです。
一方、“主体的”な意識を高めるために、“対話的”な活動を手段にすることもあります。今回の国語の学習がそれです。ジッダ日本人学校の同級生に自分の考えを伝えるというゴールを作ったため、「何のために学ぶのか」がはっきりしました。こうしたアウトプットを明確にすることは、“主体的”学びをつくる上では大きいです。本校では、朝の時間に、英語のスピーチを教室で披露する活動を頻繁に目にします。先日は、社会科でコンビニエンスストアについて調べた5年生が、プレゼンテーションソフトを使って、他学年の児童に伝えていました。同級生がいなくても、“対話的”活動はこのようにして創れます。
何のために学ぶのか。究極のゴールは、「自身の生活をより豊かにすること」に尽きるのですが、児童生徒にとっては現実的な目的が必要です。校内のお友達、先生、家族、日本人会の人達、オンラインを使った国外の誰か。いくらでもアウトプットできる対象は存在します。全ての学習でできることではありませんが、少しでも多くアウトプットする機会を創っていき、目的意識を持った学習を展開したいと考えています。
テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ
なんのためにがくしゅうしているのか、かんがえたことはありますか。いみのないがくしゅうはありません。じぶんでかんがえてみて、もしわからなかったら、せんせいにきいてみましょう。