校長室から『見えていないことを見ようとし、見つけることから始める~イランの学校との職員研修~』

先週木曜日、名古屋大学のサルカール教授、テヘラン市内にあるMah va Mehr小学校校長、学園長と副学園長、元教育長、在イラン日本国大使館の森田専門調査員の6名が本校を訪問されました。これは、今年の2月、Mah va Mehr小学校を訪問し、ぜひ職員同士の研修をしていきたいと申し出たことが始まりです。

校長室で、日本の学校制度についてご説明したり、 質問を受けたりしました。その後、各教室での授業を参観いただき、その都度、授業内容や学習形態についてご説明いたしました。参観された方々は、日本の教育に興味関心が深く、日本の教育から学びたいというお気持ちを強く感じました。これは、今年2月、イランの幼稚園Kidtopiaの保育士が本校に来られた時と同じような反応でした。国の方針や教育環境の違いで、一概には言えませんが、教育者は学ぼうという姿勢がない限り成長はありません。しかし、学ぶ意識が高ければ必ず成長できます。

さて、このようなイラン人教育者の学ぶ姿勢に感心している場合ではありません。我々派遣教員も、学びを深めなければ、本校の教育は発展していきません。国内で培った教育経験という貯金だけでは、日進月歩の教育に対応することはできないと考えています。

私事で恐縮ですが、教職経験4年目、初任校3年を経た、初の転勤の時の話です。初任校では人権同和教育を中心に教員研修が行われておりました。私も、その時期、地域素材を教材にした人権教育にどっぷりと浸かっていました。地域に足を運び、住民から聞き取りをし、保護者とも話し合いながら作っていく教材でしたから、新任ながら、教えることへの責任とともに、大きな喜びを感じていました。

そして、初めての異動。数カ月して、初任校の先輩教師に、こともあろうか「前の学校には、地域教材がたくさんあったのに、この学校にはほとんどない」と愚痴をこぼしました。すると、優しい口調ながらも、「それは、あなたが見つけてないだけや。ちゃんと探しているか!」と叱られました。その後、地域に足を運び、話を聞きながら探してみると、先人の足跡、教育素材がたくさん出てきました。素材は埋もれていたのではなく、新米教師が見つけようとしなかったことが原因でした。教育素材だけでなく、自己の成長を促す材料、きっかけは、自らが動かないと見えてこないものなのでしょう。

話は戻りますが、もし、イランの教育はまだまだ日本に追いついておらず、イラン人が日本の教育から学ぶべきと考えているのであれば、それは大きな間違いを引き起こします。これまで来校されたイラン人の方々は、日本の教育に興味津々です。こうした学ぼうとする姿勢がある限り、イランの教育は発展していきます。それと同時に、我々日本人学校派遣教員も、イランの学校教育から学ぼうとする姿勢を持たなければなりません。

職員室では、「この前、困っていたら、どこからともなくイラン人が現れて助けてくれた」「道端を歩いていたら、突然フレンドリーに、“これ食べるか?”と話しかけられた」といった、面白エピソードが話題になります。イラン人には、日本人に無い良さがあります。それは、どこで培われるのか。学校教育にその答えがあるのか。知りたくてたまりません。これは一例ですが、イランの教育に、日本人が学ぶべき要素が必ずあるはずです。私は、まだ見つけられていませんが、これから始まるイランの学校との職員研修で、きっと見つかると信じています。それが見つかれば、本校の教育はまた一歩、進化発展していくことでしょう。今回の6名の学校訪問は、そんな期待感を生むものでした。具体的には、9月に森田専門調査員から、イランの学校教育についてレクチャーを受け、10月以降、Mah va Mehr小学校に行き、授業参観、教育ディスカッションを行うことになっています。

テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ

みんなまいにち、あたらしいことをまなんでいますね。それは、せんせいたちもおなじです。あたらしいことをまなぶときは、わくわくします。

校長室から『見えていないことを見ようとし、見つけることから始める~イランの学校との職員研修~』

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