校長室から『課題探求型の学びでイランを語ろう!~総合的な学習の時間 テヘランタイム~』
本校では、総合的な学習の時間『テヘランタイム』で、イランの生活、風習、文化、歴史等から自分が気になる題材を選び、資料を探し、まとめるという学習をしています。おそらく、全世界の日本人学校が、現地に関することを学ぶ学習をしています。日本人学校にとって、現地理解教育は、児童生徒の“ふるさと学習”といった意味合いも含んでいます。
1990年代後半、私が大韓民国のソウル日本人学校にいた時も、同様の学習はありました。当時、日本の教育課程に総合的な学習の時間はありませんでしたが、教育課程外で時間を取り、教科の枠にとらわれないカリキュラム、いわゆる教科横断的な学習を行っていました。その後、日本では2002年から総合的な学習の時間が始まりました。導入当時の国内の学校では、総合的な学習の時間をどう扱うのか、様々な議論がされていましたが、私は日本人学校で現地理解教育を経験していたので、その理解はそれほど難しくなかったように思います。総合的な学習の時間の導入時は、きっと全世界の日本人学校のノウハウが活かされたのではないかと思います(外国語活動も、日本人学校が日本国内に先んじて実施している)。
しかし、先進的な取り組みであった日本人学校の現地理解教育も、最近は、国内の学校と比べて後塵を拝しているように感じます。先生がお膳立てをし、校外の現地学習に行き、同じようにまとめていく。どの子も同じ学びのプロセスで、“金太郎飴”のような学習に陥っている可能性があります。総合的な学習の時間の中心概念は、「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」であり、「探究的な学習」「自分で課題を立て、情報を集め、整理・分析して、まとめ・表現すること」が学習の中心でなければなりません。もっと言及、「自らで動く」ことです。そうすると、個々によって学ぶ内容は違い、深め方、広げ方も自由になります。今年度の『テヘランタイム』は、そこにフォーカスしています。先日の『テヘランタイム』の発表で、テーマが様々であった理由はそこにあります。そうした学び方を重視すると、発表会という場では先生主導の学習発表よりも見劣りするでしょう。しかし、学習者である子ども達の頭の中は、逆に大きな成長を遂げているととらえています。
もう一つ、日本人学校の現地理解教育で大切なことは、冒頭に挙げた“ふるさと教育”の視点です。今年度は、教育方針において「イランに学び、イランを語れる人づくり」と表現しました。国際社会において、自国を語れずして交流、ビジネスが進むはずがありません。どこの国で生活しても日本人は居心地よく歓迎されると思いますが、必ずと言ってよいほど「日本はどんな国?」と聞かれます。そこで語ることができないと、話は次に進まないのです。同様に、本校の子ども達でしたら、今後は「イランってどんな国?」と聞かれるでしょう。子ども達の大切なアイデンティティとして確立させていくためには、イランの歴史、文化、風習等から学んで、自分の言葉でイランについて語れるようにならなければならないと思います。こうした理由から、本校の総合的な学習の時間は『テヘランタイム』と名称化され、学習内容も現地を理解するものに絞られています。
本校の子ども達は、未来の国際社会で生きていく人材です。そのために、まずは自らで学びを進める力を養うことが必要です。そして、自分の言葉で自己の生い立ち、アイデンティティが語れる力も養わなければなりません。『テヘランタイム』は、その両方を求めて、取り組んでいます。
テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ
わたしは、イランのよさは「ひと」だとおもいます。みなさんにとって、イランのよさ、おもしろさは、なにですか。しらべていくと、はっきりしていきます。これからも、みなさんのけんきゅうをたのしみにしています。