校長室から『子どもの“内”と“外”の姿を見る~授業参観、個人面談を開催~』
新年度の授業が順調に進み始めました。校長室にいると、1・2年生の教室から元気な声が聞こえてきます。教室に入ってみると、2年生の子がイメージ豊かに教科書のお話を読んでいました。その声から、学習に対するやる気や、お話の世界に入り込んでいる様子が伝わってきました。こうした学習を積み重ねていけば、いずれ大きな成長につながるだろうと思います。「上手に読むねぇ。おうちの人も、そんな声で読むとビックリされるでしょう」と声をかけると、子どもは少しはにかんだような笑顔を見せ、ますます力を込めて読み進めていきました。様子は違っても、2年生に限らず、どの学年の子どもたちも張り切っているように感じます。
さて、そのような中、先週末に授業参観を行いました。普段の様子を見ていただければと思いながらも、子どもたちはやはり緊張するものです。子どもだけではありません。初めて本校に赴任した先生も、きっと緊張されたことでしょう。日本国内の学校でも、4月の授業参観では、子どもも先生も、どこかよそよそしい雰囲気が見られるものです。
どうして授業参観では緊張するのでしょうか。私は、人の心の中にある“内”と“外”の意識が影響していると考えています。“内”とは、心を開いてゆったりと構え、どう見られようと気にしない状態です。一方、“外”とは、周囲との距離感を意識し、どう見られているかを考えて緊張する状態です。こうした“内”と“外”の意識は、社会性の発達ともいえます。赤ん坊の頃には“内”と“外”の違いはありませんが、成長するにつれて“外”の意識が発達していきます。
授業参観は、いつも“内”意識で接しているおうちの人が、社会性を発揮している“外”意識の学校で出会う場面であり、いつもと違う不思議な雰囲気が生まれるのです。おうちの人が来てうれしいような、気恥ずかしいような、そんな気持ちです。
これまで、保護者から「学校では大人しく“良い子”のようですが、家ではだらしないです。どちらが本当の姿でしょうか」という相談を受けたことがあります。「先生の言うことは聞いているのに、私の言うことは少しも聞いてくれない」というお話も同様です。私はこのような場合、「どちらもその子の姿であり、年齢相応の正常な発達をしている証拠ですね」と答えます。
“内”と“外”の違いを認識できているということは、社会性が身についている証です。反対に心配なのは、学校では暴れて教室をかき乱すのに、家では大人しい子、あるいは学校ではだらしないのに家ではきちんとしている子です。要因はさまざまでしょうが、“外”である学校で社会性が発揮できていない状態といえます。
こうした子どもの二面性を確認し合う機会が、授業参観や個人面談です。今回の授業参観でお子様を見られて、我が子は“外”意識を持っている、すなわち社会性が身についていると感じられたでしょうか。また、先生から普段の学校生活の様子をお聞きになり、家庭での様子と比較されたとき、どのように思われたでしょうか。もし、気になることやご心配な点がありましたら、どうぞ遠慮なく本校の先生にご相談ください。いつでも対応させていただきます。
また、学校は社会性を身につける場でもあります。いつでも何でも自由に行動したり発言したりしているだけでは、社会性は育ちません。時には、したいことや言いたいことを我慢することも必要です。そのため、学校は、子どもたちへのあたたかいまなざしを大切にしながらも、“外”を意識した言葉遣いや態度について、しっかり指導していかなければならないと考えています。
テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ
じゅぎょうさんかんは、きんちょうしましたか。おとうさん、おかあさんのまえでかつやくしたいきもちは、みんなよくわかっています。