校長室から『自分たちの学校を自分たちで創る~児童生徒会が活動を開始~』

 先週木曜日の全校朝会で、私は子どもたちに「学校は何をするところか?」という問いを投げかけました。「学習」「ルールを学ぶ」「みんなで仲良く生活」「生活の練習」「成長」など、子どもたちからはさまざまな答えが返ってきました。「学習」以外の答えに、日本の学校らしさがにじんでいると感じました。ドキュメンタリー映画『小学校 〜それは小さな社会〜』でも、勤勉で規律を守る国民性が学校の中で培われている様子が描かれており、注目を集めました。本校の子どもたちも、学校生活を通して人との関わり方や生活する力を学んでいることを自覚しているようで、私は改めて感心しました。

さて、今回私が特に大切にした問いは、次に投げかけた「では、学校は誰のものか?」というものでした。子どもたちは少し戸惑った様子で考え込み、普段あまり意識していなかったことなのかもしれません。出てきた答えは、「先生」「児童生徒」「運営委員会」「スタッフ」などでした。

私は続けて、「この学校は授業料で運営されています。では、その授業料を出している保護者のものとは言えないでしょうか?」と問いかけました。子どもたちは「そうかもしれない」といった反応でした。また、「以前、公使のお子さんがこの学校に通っていました。先日、その方が学校に来てくれました。これまでこの学校で学び、巣立っていった先輩たちのものでもあるのでは?」と投げかけると、「それもそうかも」とうなずいていました。

この問いに明確な正解はありません。しかし、子どもたちの回答には、それぞれが持つ「学校」のイメージが表れています。きっと、子どもたちは目に見える学校生活の中で出会う人たちを思い浮かべたのでしょう。

今回の話で私が子どもたちに伝えたかったのは、「学校は子どもたち自身のものであり、自らが学校を創っていく当事者である」という自覚を持ってほしいということです。講話の中でも話しましたが、「少なくとも学校は先生のものではない」ということです。学校で学び、生活する子どもたち、支援してくださる保護者や日本人会、そしてこの学校を巣立っていった先輩たちのものであり、その方々の思いを可能な限り実現していくのが、私たち派遣教員の務めだと考えています。

もちろん、子どもたちの意見をすべてそのまま採用するわけではありません。私たちはプロの教育者として、必要に応じて判断・調整しながら対応していきます。ただし、その前提として、学校は子どもたちのものであるという位置づけがあるべきだと考えています。

このような話をした後、私は新しい児童生徒会長に会長職の委嘱状を手渡しました。そして「君たちがどんな学校にしたいのか、意見がまとまったら校長室に来てください。トップ会談をしましょう」と伝えました。すると今週早々の昼休み、児童生徒会長と委員会長3名がさっそく校長室に来てくれました。

私からは、「自分で考え、判断し、行動できる子を育てたい」と話しました。児童生徒会の役員からは、「みんなが安全に過ごせるよう、校内ルールや物の使い方を考えていきたい」「気持ちよく過ごせる学校にしたい」「みんなで仲良く、楽しく過ごしたい」「自由にできることも大切にしたい」といった意見が出されました。まだ方針としてまとまってはいませんが、私は彼らの意見から、「過ごしやすさ」を大切にした児童生徒会を目指していることを感じました。

これから、彼らがどのように具体的な活動を展開していくのかを楽しみに見守っていきたいと思います。そして、こうした場を持つことを通して、子どもたちに「自分たちが学校を創っていくのだ」という当事者意識を育てていきたいと考えています。

 

テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ

いよいよ、ことしのじどうせいとかいが、すたーとしました。じぶんのがっこうは、じぶんたちでつくっていく。そんなおもいを、せんせいたちは、しっかりおうえんしていきたいとおもっています。

校長室から『自分たちの学校を自分たちで創る~児童生徒会が活動を開始~』

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