校長室から『大人の事情と関係なく生きている子どもたちへの影響~イラン・イスラエルとの争いによって~』

6月13日未明、イスラエルによる突然の攻撃により、運動会の練習が本格化していた本校は大きな影響を受けました。こうした紛争は「ちらが始めたのか」「どちらが悪いのか」と単純に白黒つけられるものではありません。しかし、何の前触れもなく突然攻撃されたことに、イラン国民だけでなく、正直私たち日本人も大いに動揺しました。双方の応酬により状況は日に日に悪化し、1週間後には日本人学校の児童生徒と派遣教員、その関係者全員が日本への帰国を余儀なくされました。振り返れば、本当にあっという間の出来事であり、その短期間に本校の教育活動は大きな局面を迎えました。

現在、本校の児童生徒8名のうち6名は日本国内の学校に転入し、2名が本校のオンライン授業を継続しています。いずれこの2名も、最寄りの学校へ通うことになるでしょう。子どもたちは、帰国の道中もきっと多くのことを考えていたに違いありません。「運動会はどうなるの?」「楽しみにしていた水泳学習は?」「毎週のフットサルはもうできないの?」――。その胸中にはさまざまな不安や残念な気持ちが渦巻いていたはずです。

私はこれで3度目の退避を経験しました。そのたびに、子どもたちには「大人の事情で起きたことで、こんなことになってしまって本当に申し訳ない」と詫びてきました。謝ることしかできない自分たちの無力さを痛感しながらも、これが現実なのです。もちろん、それで子どもたちが納得するとは思っていませんが、他にできることがありませんでした。

子どもたちにとって、大人の事情など関係ありません。ただ、運動会で自分の成長した姿を応援してくれる大人たちに見てもらいたい、プールでたくさん練習して、前より泳げるようになりたい、先生たちと楽しく学習したい――それは当たり前のことで、決して欲張りな願いではありません。にもかかわらず、子どもたち自身には何の責任もない事情によって、そうした日常が突然断ち切られてしまったのです。同じ大人として、胸が痛みます。

それでも、子どもたちがたくましく生きていることもまた事実でした。今回の避難バスで、私たちは子どもたちと同じ車両に乗ることができました。これは大使館のご配慮によるもので、大変ありがたいことでした。移動中の車内では子どもたちは静かに過ごしていましたが、2度の休憩ではいつもの笑顔がありました。こんな時にも、悲しそうな表情ひとつ見せず、気丈に、そして無邪気に振る舞っている子どもたちの姿は、同じように避難している大人たちを励ましてくれました。大人の事情で迷惑をかけているのに、逆に勇気をもらうなんて、なんとも情けないと思いつつも、それが現実でした。そして、感傷に浸っている暇もない、ということを実感しました。

私たち派遣教員は、避難バスが出発する前日の午前中までオンライン授業を実施していました。避難の準備も進めなければならない状況でしたが、それでも「授業を止めない」という方針のもと、可能な限りの教育活動を続けました。派遣教員が日本に到着した翌日には、1時間目から6時間目までのフル時間帯でオンライン授業を再開しました。大移動の疲れもあり、体調が万全ではない中での実施ではありましたが、「教育を通して社会に貢献する」という覚悟のもと、子どもたちへのせめてもの償いとして授業を提供し続けました。

現在、最寄りの学校に通っている子どもたちは、新しい先生や友達と出会い、本校とはまた違った環境で、一生懸命に学校生活を送っているように感じます。オンライン授業を受けている子どもたちも、仲間が一人、また一人と減っていく中で、毎朝のオンライン朝会に「おはよう」と挨拶をし、放課後には補習学習も行っています。一人で続ける学びには、また別の過酷さがあるはずです。心から敬意を表したいと思います。

夏休みまで、あと2週間。私たち派遣教員も、子どもたちに負けないよう、できることを一つひとつ積み重ねていきたいと思います。

 

テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ

みんな、げんきにしているかなあとおもうときがあります。きっと、どこでもがんばっていることでしょう。しばらくはあえないともだちも、そのがっこうでせいいっぱいどりょくしてください。そして、またあえたときに、たくさんのみやげばなしをきかせてください。

校長室から『大人の事情と関係なく生きている子どもたちへの影響~イラン・イスラエルとの争いによって~』

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