校長室から『自ら学ぶ子に育てたい~5、6年生の自習を見て思うこと~』
先週水曜日から、5、6年生の担任の先生が、家庭の都合で1週間休むことになりました。その初日、5時間目の国語に私が入ることになりました。事前に、先生からは「子ども達が学習を進めるので傍にだけいてほしい。」と言われていましたので、その時間をとても楽しみにしていました。授業時間が始まると、一人の子が「校長先生、この時間は『おすすめの1冊』を書きます。」と言って、取り組み始めました。私が「自習は学習方法の中でも一番レベルが高い方法。楽しみにしていますよ。|と話しますと、早速「○○君、本を図書室まで取りに行ってくる。」「あっ、そう。いってらっしゃい。」と声を掛け合っていました。
2020年、コロナによる臨時休校を余儀なくされた時、我々学校関係者は子ども達の様子から貴重な教訓を得ました。二か月に及ぶ期間、学校には子どもだけでなく、保護者からも「先生、何をして過ごしたらいいですか」「宿題を出してください。そうじゃないと、ずっとゲームとテレビばかりです」という声がたくさん寄せられました。各学校は、慌てて課題を作って配布したり、オンライン授業をしたりして、対応しました。そして、学校関係者は大いに反省したのです。子ども達に自ら学ぶ力を授けてこなかったことを。その反省から、日本ではタブレット端末を全員に配布し、自ら学ぶ授業スタイルへと変革し始めています。
日本を含む先進国は、工業を中心とした“成長社会”から、知的産業を中心とした“成熟社会”に入っています。成長社会では“速さ”や“正確さ”を求められ、安くて品質の良い品物を速く、数多く作り出すことが目標とされます。その時代、学校は“正解”を教えることに終始しました。しかし、“成熟社会”では価値も多様化し、“正解”を的確に知っているよりも、一見不正解に見えてもより多くの人が納得する“納得解”を生み出していかなければならないのです。今の会社は、そうしたクリエイティブさを求めています。つまり、人から教わるだけでなく、他者とつながりながらアップデートしていく姿勢、自分自身で学び取っていく力が必要になってきています。
国際社会の中でも、これまで日本人の積極性について疑問符が付けられてきました。これも、学校の責任です。言われたことを忠実にこなすことを学校が子ども達に刷り込んできたために、「さぁ、これからは自分で考えてやってみよう」と言われても、戸惑うのは当たり前のことです。もともと学校のやり方に疑問を持っていたり、先生の言うことを聴かずともできたりするエリート階層は活躍できました。しかし、学校でこれまでの授業スタイルが続く限り、積極的に学ぶ姿勢を身につけることはできません。きっと大人社会(大学生活も含む)でずいぶんもまれた後になるでしょう。
こうした反省と現状から、小学校段階から少しずつ自ら学ぶ力を付けていかなければならないと考えています。5,6年生の自習の様子を見ていますと、機会を与えていけば少しずつ自ら学ぶ力は伸びていくように感じました。私が指示しなくても、互いに教え合い、次に何をするか、自分達で考えていました。例に出した自習の時間は、事前に課題が与えられており、それを自分たちで計画的にするだけの活動でしたが、そのうち、先生は学習目標を提示し、活動内容も自分達で考えられるようになれば本物と言えるでしょう。今はまだ夢のような話ですが、いずれそこまで到達させていきたいものです。そのために、教師はティーチャーから、チューター(助言者・相談役)、ジェネレーター(意欲を掻き立たせ、学びを活性化させる役)へと役割を変化させていかなければなりません。
ただ、こうしたことを理解しつつも、さて自分自身の国語の授業でどのように変化していけばいいのか戸惑うことばかりです。もう少し頭を柔らかくして考えてみる必要がありそうです。
テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ
5、6ねんせいのじぶんでかんがえてべんきょうしているすがたをみて、かんしんしました。そんなちからがついているのに、つかわないともったいないとおもいました。