校長室から『教科、ジャンル、テーマは自分で決めて、伝える~オンライン発表会を開催~』

 今週24日、オンライン発表会を開催しました。例年でしたら、学校で学習発表会として実施しておりましたが、今年度は子ども達もテヘラン、日本国内各帰省先と離れ離れになっている状態で、開催自体も検討してまいりましたが、学校行事の延期、中止が相次ぎ、メリハリの効きにくい学校生活となっていることを懸念し、できるカタチで実施させていただきました。

今年度、本校に降りかかった災難はイランを取り巻く国際情勢でしたが、私は新型コロナによって子ども達の学びが止まった、あの時と重なって見えます。あの時の教訓は、今の日本の教育を一歩前進させてきました。1つは、環境整備です。今回、8月にiPadを更新し、eライブラリという学習支援ソフトも導入しました。おかげで、毎日、日本にいる子にも、イランにいる子にも6時間の授業が提供できています。そして、先日のオンライン発表会では、子ども達それぞれの場所からネットを通じて、学習発表をしてくれました。プレゼンテーションソフトを使った資料を画面共有するのも子ども達自身が操作し、実にスムーズに進行していました。また、イランはネット環境が極端に悪い国ですが、年度当初から高速Wi-Fiに変更したおかげで、オンライン発表会当日はほとんどフリーズすることなく、クリアな状態で発表を見ることができました。こうした整備は、現地スタッフをはじめ、職員が影の立役者となりました。

 もう一つ、コロナ禍で学校が学んだことは、学びを自身で進める力の育成でした。先に挙げたハード面は、お金をかければできます。しかし、自ら学びを進める力は、一朝一夕には育てられません。日々の授業の中で培っていくものです。コロナ禍当時、いざ「自分で考えて」となると、学びが止まってしまったのです。“指示待ち学習者”を育ててしまった、これまでの教育を反省し、中央教育審議会から『「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)』が出され、今の学校教育の大きな方向転換がなされたと記憶しております。その重要な柱が“個別最適な学び”であり、私は「自分で考え、判断し、行動する力を学習においても育んでいくこと」と捉えています。もちろん、学習の多くがそうなってしまうことは不可能であり、むしろ危険とも言えます。しかし、学習の一部を、一斉一律指導から子ども達自身で考え工夫する授業へと置き換えていく必要があります。そのため、本年度は従来の学習発表会の内容を考え直しました。保護者に対してこれまでの学びを報告する学習発表会では、どの教科のどんなジャンル、どんなテーマにするかは、子ども達自身で考えさせることにしました。例えば、二人の子は“スクラッチ”というプログラミング教材を使って作成したゲームを発表していましたが、もし先生の手が強く入ってしまったら、同一内容を避けさせられていたかもしれません。ですが、テーマの発想も発表形式も子ども由来ですから、そこに執着しません。結果として、作成したゲーム内容は違っていましたし、そこで学んだこと、感じたことも違っていました。そして、全ての発表が、素晴らしい内容だったと感じることができました。出来栄えや学習内容の深さは人によって違います。しかし、その違いは違和感になりません。むしろ、それぞれの子の成長が愛おしく思えました。学習プロセスを子ども達に委ねてよかったと率直に感じています。

 この発表会で嬉しかったことがもう一つ。我々派遣教員は日本にいて、オンライン上でしたが、テヘランにおられた保護者、大使館関係者が来校していただき、子ども達の発表を見守ってくださったことです。画面越しでしたが、教室内の空気はあたたかく感じました。ある子の発表は途中でクイズになるのですが、大人の参観者が真剣に三択問題に回答してくださるなど、オンライン発表会という授業を参観者も一緒に創ってくださっていたようにも思えました。そして、素敵な大人たちの間で成長できる子ども達が幸せに見えました。

今回も、「学校は誰のもの?」という自己テーマも再確認しました。学校は、子ども達のものであり、保護者のものでもあり、日本人会をはじめとする日本のものです。

 

【参考資料】「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)【概要】(令和3年1月26日 中央教育審議会)

 

テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ

ひとりひとり、じぶんでかんがえた、はっぴょうのないようで、みごたえ、ききごたえがありました。そして、みんなのまなぶしせいをかんじることができ、うれしくおもいました。

校長室から『教科、ジャンル、テーマは自分で決めて、伝える~オンライン発表会を開催~』

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