校長室から『学校では何を学ぶのか~ヤズドの教員による学校訪問~』
先週水曜日、ヤズドから教育関係者4名が来校されました。学校案内では、各教室の掲示物に興味を持たれ、「何を素メタルにしているのか」「どんな目的があるのか」など、たくさんの質問を受けました。2月に本校教員も、ヤズドで学校訪問をさせてもらった時、教室の掲示物や備品などへの関心が高かったので、異国の教室は興味深いものが数多くあるでしよう。
そして、授業参観後、講堂で、日本文化を披露する場を持ちました。子ども達が、けん玉、伝承遊び『あんたがさどこさ』、習字、剣道、ダンス『ソーラン節』など、それぞれが得意としていることを披露してくれました。また、ギターで、イラン国歌も弾きました。これらの出し物で、訪問団はとても満足されていました。
その後、多目的室で1時間程度、全派遣教員と訪問団とで、イランと日本の教育について意見交換しました。「AIを教育にどのように取り入れるか」等の今後の教育の展望について、また「規則に従わない子にはどのような指導をしていくのか」等の生徒指導についてと、意見交換は多様な範囲に及んだのですが、私が一番興味深かったのは、「日本の学校では、何を学ぶのか」という質問でした。その方は、「以前、日本人教師と話したとき、日本の学校では友達とのつながり方を学ぶと聞いたが、それは本当か」とおっしゃられていました。答えの間口が大変広い命題ですので、どのような答えもあてはまると思いますし、“友達とのつながり方を学んでいる”と話した日本人教師も、一つの切り口として答えられたのだと推察いたします。しかしながら、こうした本質を突く質問は、空気のように見えなく、当たり前のように日々の教育活動をしているものにとっては新鮮であり、今一度考えなくてはならないと気付かされるものでした。みなさんなら、どのように答えられるでしょうか。繰り返しになりますが、どの回答も正解です。しかし、何を取り上げるかで、その人のこだわりや教育観というものが見えてくるように思います。
私なら「その人なりの人格の創り方を学んでいる」と答えます。間口の広い質問ですので、間口の広い回答で逃げているところもありますが、特に、小中学校という幼少期の教育機関である学校は、学ぶ内容は多種多様です。しかし、その人なりの人格を形成するすることに帰着しなければならないと考えています。学力、体力も人格の一つです。人とのつながり方も、その人らしさを形づくるものとなるでしょう。
例えば、この訪問団の歓迎イベントで、けん玉がうまくいかなかった子がいました。リハーサルでは一発で決めたのに、本番では失敗しました。私は、「うまくいかなかったら、3回ほどやって、4回は手で持ち上げて、『こうなります』と言っていいんだよ」と事前に逃げ道をアドバイスしました。しかし、その子は、できるまで繰り返しやる道を選択しました。そして、10回目でようやく成功しました。その子の持っている、芯の強さを感じました。こうした、「さぁ、どうする?」という機会は、学校で多く提供できます。毎日の授業は、何とか個人でしなくてはならないことばかりです。そんな機会の繰り返しの中で、逆境を乗り越えたり、うまくやり過ごしたりする方法、このやればうまくいくという処世術を学んでいきます。それが次第にその人となりへと進化していきます。学校は、家庭より、人格を形づくっていく機会に溢れています。
そう考えると、大切なことは二つです。一つは、個々の考え、行動を発揮する機会を多くつくっていくことです。先生の一方的な価値観を押し付けてはいけません。「あなたは、どうしたい?」という一言が必要です。もう一つは、個々の考え、行動を尊重することです。1年生は1年生なりの、中学部3年生は3年生なりの思いがあっての行動です。「なるほど、そうだね」と受け入れてやらねばなりません。
ヤズドから来られた先生の質問によって、そんなことを振り返ってみる、良い機会となりました。
テヘラン日本人学校で学ぶ子ども達へ
ヤズドからこられたせんせいは、あなたたちのだしものをたのしんでおられました。みなさんには、ひとをえがおにするちからがあります。