校長室から『生成AIの活用で思うこと~中学国語の作文推敲の学習を通して~』

先日、Googleから生成AIの“Gemini”が発表されました。“ChatGPT”とともに、生成AIは我々の生活の中に深く入ってきています。このことにより、学校の授業はどう変わっていくのか、現場でもその利用について試行錯誤が始まりますが、まずは使ってみなければいけません。

ワードプロセッサー、PC、タブレットなど、学校に新しい情報機器が入ってくるたびに、学校は得体のしれないモノに不安を抱き、これからを危惧する声を上げてきました。まさに、“黒船来航”の如く。しかし、いずれも学校よりも先に家庭、社会で浸透し、学校は後塵を拝してきました。昔の学校は、家庭にない珍しいものがある場所でしたが、今は逆転しています。学校が積極的に社会の新しい動きをキャッチしにいかなければならない時代です。

先日、中学部の国語で、美術鑑賞文を書く学習をしました。生徒は『鳥獣戯画』を題材にし、文体も本年度学習した説明文の表現技法を真似ながら書きました。普段でしたら、授業時間を多くとることもできず、書かせて終わりにすることもあるのですが、あまりにも秀逸な文章を仕上げてきたので、推敲を重ねてより良い文にしていくことを提案しました。

そこで、生徒の第1稿を“ChatGPT”に推敲させました。さすが実績のある生成AIらしく、文法や言い回しを修正していました。それを生徒に見せてみました。すると、その生徒は「う~ん、ここはい感じに直ってるけど、ここは私が伝えたい書き方になっていないんだなぁ」とAIが推敲した文を批評していました。そして、自身の第1稿と“ChatGPT”が直した文章とを見比べながら、タブレットを使って推敲に入りました。

その生徒の学習の様子を見て感じたのは、二つです。一つは、生成AIは自己分析に役立つツールになると感じました。今回の授業では、生成AIが推敲した文章を一つの参考資料として扱うことで、「へぇ、そう直すか」といった客観的な視点に立つことができました。そして、冷静に自己の文章を振り返ることができました。その生徒が「小学部の時は、先生が直したのをそのまま書き写してました」と話していましたが、先生は子ども達からの忖度も含み、絶対的存在です。今回のように、「へぇ。そう直すのか。でも、私はこっちの方がいいや」と、先生の手直しを無視することができません。そういう点では、AIの方が気兼ねなく自己分析できます。そして、推敲スキルは高まります。

もう一つ感じたことは、学習者の意識によって、生成AIの扱いが左右されることです。生成AIの出現により、戦々恐々としている学校の先生は、「AIに任せちゃおう」「AIが作ったのだから、もう考えなくてもいいよね」と思考停止に陥ることを恐れているからでしょう。私も、正直、心配でした。しかし、授業をし、生徒の様子を見て、安心しました。

生徒には、AIを安易に受け入れない意識がありました。そして、仕上げは自分でするという気持ちがありました。生徒自身、「私は頑固ですからねぇ」と言っていましたが、オリジナルを作るという意識、さらにはAIよりもっといいモノを作りたい、よい文章を書きたいという気持ちが、この授業では必要でした。つまり、生成AIを活用した授業では、学習者側の学習意欲が不可欠であるということです。しかし、そもそもとして考えてみますと、その学習意欲を高めることこそ、我々学校の教師の本来業務です。学習意欲を高めるのは、生成AIの仕事ではありません。今後、教師は教師にしかできない、こうした役割が重要視されていくものと思われます。

それにしても、生成AIの文章に向き合う生徒を見て、技術革新、進化に対応する力は若者世代の方が早いことを実感しました。生成AIが来ても大丈夫です。

テヘラン日本人学校で学ぶ子どもたちへ

これからは、たよれるものは、なんでもつかっていきましょう。そのなかから、じぶんなりのかんがえをみつけていきましょう。

 

校長室から『生成AIの活用で思うこと~中学国語の作文推敲の学習を通して~』

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